2012年3月31日土曜日

ドイツのネット規制 グリー躍進 等

「自分の子どもが殺されても 同じことが言えるのか」と 書いた人に訊きたい』という記事を読みました。

議論がつきないため、死刑廃止論に、深くふみこむのは止めますけれども、森達也氏が死刑廃止を望むあまり、私たちの応報感情について見下したことに対して覚えた反感について少しだけ述べます。

彼の記事を読んで思い出したのが、「女子高生コンクリート殺人事件」(1988年)を起こした少年の家庭環境です。

「女子高生コンクリート殺人事件」が行われた家屋は、ごく普通の住宅街にありました。
その舞台となった家には、いったいどういう人々が暮らしていたのだろう?
自分の子供が女子高生を監禁しながら、注意をしない家庭とはどういう家庭なのだろう?

調べたところ、その家の両親がそろって共産党員だったのを知って、驚きました。
共産党といえば、時代遅れの考え方ではあっても、根本に弱者を守ろうという志があり、理想が高く、世の中に平等をもたらすために戦っている人々の集まり……国会討論を観ていて、彼らに高尚イメージを持っていたからです。
志の高い親に育てられたはずの子供が、いったいなぜそんな残虐な犯罪を犯したのか?

ところが、私の身の回りや友人の話、あるいは体験談などをきくうちに、むしろ理想主義的な家庭の方が、保守的な家庭よりもうまくいっていないことが分かってきました。

リベラルと呼ばれる、平等主義的で、男女同権を掲げ、人権を重んじ、保守的な思想を嫌悪する親のいる家庭が、子供にとって苦痛となり得るのはなぜでしょう?

冒頭に掲げた記事の中で、死刑廃止論者であると語った勝間和代の家もまた、長女にとって、大変居心地が悪かったといいます。

勝間和代の長女のブログを読み、胸が詰まる
勝間和代の経歴について留意点
などを読めば、その詳細がわかるでしょう。

彼女の家庭も含めて、リベラルな親の家庭が、なぜこうも歪つになるのでしょうか。

いろいろな理由が考えられるでしょうが、その一つとして、彼らの掲げる理想が人間の本来のあり方からかけ離れていることが原因なのかもしれません。

幼児期の子供はエゴイストです。
親にとって、自分は特別な存在でありたいと、子供なら思うのが普通でしょう。
ところがリベラルな親にとってみれば、血縁を理由に特別扱いすることはいけないこと。
自分の子供という地位にいる存在だからといって他人よりも大切にすることは、動物的な感情だから汚らわしいと、忌避するのです。

親としての情、動物的な感情を否定し、理想や原理原則を重んじる親は、子供を他の何よりも愛する、動物のような愛情をバカにし、子供をなによりも特別な存在として愛することを疎み、泥臭い子育てよりも、社会活動を重視する傾向があるのではないでしょうか。

子供は人格形成の時に、親に心から愛されていた、という実感がないまま育ちます。
長じては常に不安を感じることになり、精神的に追い込まれることが、荒れた生活を送る原因となるでしょう。
自分は特別な存在ではない、と幼い子供に思わせる行為は、一種の虐待です。

森達也氏や勝間和代氏の言論は一見、正論です。

死刑制度は、人権という観点からみれば、その原理に違反しているでしょう。
しかし、彼らの死刑制度反対は、人間を愛し、犯罪をにくみ、被害者の苦しみを思って涙を流し、遺族の気持ちに寄り添いながら、その上で、
「たしかに殺人犯を殺したい気持ちは分かります。でも、それでもなお、死刑はやめましょう」
というものではありません。
それよりも、遅れた人々を啓蒙し、遺族たちの気持ちをバカげたものだと否定するものです。

このような姿勢が、多くの人の反感をかうのでしょう。

彼らに「自分の子供が殺されても同じことが言えるのか」と質問するのは愚問だと思うのです。多分彼らは、自分の子供が殺されてもそこまで悲しまず、むしろ(死刑廃止を訴える自分の声に、説得力ができる!!)と喜ぶのじゃないかな。

ちなみに、他人と痛みを分かち合える「共感」こそ人間を人間たらしめるものだということは『アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))』でも述べられていました。



本日気になった記事はこちら。↓
蟲師はマンガでよみましたけれども、アニメも面白そうですね。
今度ビデオを借りて、観てみようかな。


引用されれば印税が入る、というのはいいアイデアですね。
政治系の記事を書く人々は、時事通信社に登録して毎月千円払って引用できるようにするとか、にうまく共存できるような仕組みができあがればいいのですが。


瞑想がいいと聞くので、習慣にしようとは思うのですが、なにしろ座って、数を心の中で数えているだけですから、すぐに飽きて、止めてしまいます。
しかし、科学的に証明されるとなると、やらないわけにはいきませんね!!


読んでいるとワクワクします。天才たちの競演のようで。
映画にしたら、面白そうです。
とくにPHPの神様・藤本真樹の存在はカッコイイなぁ。
IT系会社のシステムのプログラムは、いろいろな技術者が継ぎ足し継ぎ足しで作られることが多くて、ソースを見ると嫌になると、SEやってる友だちから聞いたことがあります。それに比べると、天才によって統一されたプログラムですから、グリーという会社のシステムのプログラムは使い勝手がよさそうです。


「中国の次はインドだ!」なんて言われていましたけれど、この国はカースト制度を真剣になんとかしないと、飛躍しないんじゃないかなぁ。

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